|
※ |
内田善兵衛実久 |
内田壱岐の弟。左右良岳城主。
大友宗麟のために古処山城が落城し、種実公の父 秋月種方戦死。
十三歳の種実公は僧 高韵に伴われ毛利元就の許に身を寄せた。
これを迎え邸宅を提供したのが内田壱岐。
財部(高鍋)では隠居料五百石。元和三(1617)年、八十歳で没す。 |
|
内田四郎右衛門 |
内田善兵衛の二男で宝満嶽城主。高鍋七本槍の一人。
善兵衛の長男 彦太郎は十九歳で岩屋にて戦死、四郎右衛門が家督を譲り受ける。 |
|
恵利内蔵助暢堯 |
秋月家を起こした秋月種雄の弟 種久の子孫。
種実は敵情をさぐるために講和の使いを装って内蔵助を豊臣秀吉のもとへと送った。
内蔵助は秀吉に会い、国へ戻ると抗戦すべきでないことを伝えたが、
種実親子はこれを聞き入れなかった。
内蔵助は死を以って主君を諫めるほかないと決意し、荒平城下の大岩において
妻・長女・次女を刺し、自害して果てた。
天正十五(1587)三月十四日。三十八歳であった。
後世、この大岩を腹切岩と呼んでいる。 |
|
隈江越中 |
岩石城主。岩石城は豊臣秀吉の九州征伐で第一攻撃目標とされた。
岩石城(福岡県田川郡添田町)兵三千に対し 第一隊 蒲生氏郷 兵二千 第二隊 前田利長 兵三千余 予備隊 羽柴秀勝 兵五千
主将 隈江越中は戦いが始まる四月一日より十日前に病死説あり。 |
|
芥田悪六兵衛 |
秋月屈指の勇将。
主将 隈江越中を欠き,悪六兵衛を中心に必死に守るが悪六兵衛以下四百人が戦死。
一ヶ月間の兵糧を貯えた堅城 岩石城は一日で落城した。 |
|
内田吉左衛門 |
内田四郎右衛門と板並左京進の娘との間に生まれた。種貞公の付家老。 |
|
秋月種貞 |
種長公に男子なく種貞(豊前馬ヶ岳城主長野三郎左衛門の嫡子 采女(うねめ))を
養子としたが、その後、嫡男 種春公誕生。 |
|
白井権之助 |
内田善兵衛の六男。種長・種春期の家老。 |
|
白井又左衛門 |
白井権之助の息子。家老。 |
|
板並軍兵衛 |
古処山城落城の際に討ち死にしていることから秋月種方時代の家臣だと考えられる。 |
|
板並清左衛門長常 |
朝鮮出兵では五十五の首級をあげている。 |
|
板並権太郎 |
清左衛門の子で秋月種実公の孫。清左衛門は種実公の七女マツを妻としていた。 |
|
板並兵左衛門 |
板並兵衛門?清左衛門の弟。 |
|
板並帯刀 |
内田善兵衛の五男。清左衛門の養子となった。 |
|
≪参考文献≫
「高鍋藩史話」
「福岡県の城」
「福岡戦国武将物語(上)」
「筑前城下町 秋月を往く」 他
板並左京進について何かご存知の方がおられましたら
左京亮まで情報提供お願いいたしますm(__)m |
|
|